ハザック族の少女
農村では赤ん坊の世話は子供の仕事、宝物の様に見せに来る。

中国新疆ウィグル自治区
シルクロードツーリング
 旅も半ば、我々はハザック族(カザフ系中国人)の村に連泊する事になった。彼らは移動式住宅であるパオを高台に設置し、そこをベースキャンプとして更に奥地で遊牧生活を行っている。従って、村とは言ってもそこに定着している訳ではない。高台からは茶色の土と瓦礫で覆われた盆地と空軍の基地が見下ろせ異国情緒あふれる物だ。もしや空軍基地が見下ろせると言う事は外国人立ち入り禁止地区なのではと一瞬想像したが、管理人の様な海外初心者の知る所では無いのですぐさま考える事は停止する。

 新疆の砂漠は高原に位置し、また湿度が低い為に快適に過ごせる。但し、汗はどんどん乾いていくので長袖の服装とまめな給水は必須。砂漠に夕焼けや朝焼けは無く、朝はあっという間に明け、日が沈めば急速に暗くなり、その一瞬は非常に美しい光に包まれる。我々の宿泊したパオは恐らく鉄(詳細は失念)の骨組みと分厚い羊の皮で構成され、床には絨毯が敷き詰められており、その匂いには少々閉口してしまう物の広く快適である。もっとも、夜は相当気温が下がり認識の甘い我々は就寝時に天窓を閉めるのを忘れ、旅の疲労も影響してすっかり体調を崩してしまった。
 気分治しにお茶を貰うと、ブロックの様なお茶の塊を牛乳(?)の煮立った鍋に入れて煮立てた豪快なミルクティーを入れてくれた。うう、何か一寸しょっぱいよ。その後、仕事先で知り合った中国人女性(漢族:元国連勤務)にその話をしたら、「それを標準的な中国茶だと思わないで下さい。」と言われてしまったよ。なんでも、中国(と言うか漢族)では別の優雅なミルクティーが有るらしいのですが、未だ見かけないなあ。
 
 ハザック族は主にイスラムを信仰し、伝統的に豚肉は食さず主食は羊肉とナン(発酵しない簡易パン)である。中国におけるムスリムは戒律には鷹揚で、豚肉は食さないが女性が肌をベールで隠す事も無く飲酒も行う。管理人の接した限りでは回族やウィグル族も同様で、後に知り合ったパレスチナ人にその事を話すと理解できないと言った表情であった。多くの中国の辺境地の例に外れず、昼間から屋外で仕事をする訳でもなく時間をつぶしている大の大人を見かけるが特別貧困には見えず、生活には満足している様に見えた。最も、その生活を支えているのは沿岸部の開放地区での経済発展のお陰と言う考えもあり、中国発展の複雑さを垣間見る事ができる。

 旅の道中は食料調達も困難であり簡易食が続いていた。勿論、中国人の食す料理であるからそれなりに満足できる味ではあるのだが、特に鮮肉の不足は否めない。連泊は体力調整と栄養補充も兼ねている。連泊初日のツーリングは午前中で引き上げ食事の準備に入る。つい先程までパオの周辺をうろついていた子羊が瞬く間に捌かれ、食卓に上ってしまうのは、埼玉の山間部に生まれたとは言え町育ちの管理人にとっては少々馴染めない光景ではあったが、新鮮な肉は美味であった。調理は羊の肉をベースとしたスープと浴びるほど香辛料をかけたシシカバブー、いわゆる羊の串焼きである。美味しい事は確かなのだが香辛料に免疫の無い管理人には少々過ぎ、塩のみの日本人向けをこっそり作るのだが、隙を見せると「それじゃ美味しくないよー。」と香辛料を馬に喰わせるほどかけられてしまう。

 丁度、同時(97年)中国では少々裕福な中間層が形成され、国内の規制も緩やかになった事から国内旅行が普及・流行し始めていました。国内旅行の団体が我々の滞在する村にも次々とバスで到着、何時の間にやらお互いに酒等を交し合い、一寸いい具合の盛り上がりとなりました。始めは白酒で乾杯していた物の、その匂いと強さで退散してしまうあっしめ。「こんにちは」は世界各国の皆さん知っていらっしゃるのですが、再見は何ていうんだと聞くので「さよなら」だ、と答えたらどう言う訳だか語感が気に入ったようで、そこらここらで「さよなら」の合唱となりました。
路上にて
軒先にて
いたる所で時間をつぶす人々を見かける、仕事は?
新疆砂漠は高原に位置し涼しく、湿度も低い為日陰にいれば
快適に過ごせる。
ハザック族やウイグル族などの少数民族はブレザーを着る、人民服を着る(最近は着ません)漢族に対する対抗意識だそうだ。サングラスがモボですなあ〜。
後方に見えるのは我々が泊まったパオ。
ハザック村のパオ
モダンボーイinハザック村
中央アジアの娘さんはエキゾチックで美しいのです、確か楊貴妃なども中央アジア系の蜀出身だったと言われています。
つい先ほどまで当たりをうろうろしていた子羊もたちまち食卓に・・・。

羊を食らう
ハザックの若い娘さん
その3
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