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 ロバを牽く村民
新疆の砂漠は瓦礫砂漠、礫と土に覆われた大地を轍を頼りに進む。

中国新疆ウィグル自治区
シルクロードツーリング
 管理人はニュートラルにギアが入って、数少ないライトがちゃんと点灯する、更に唯一ナンバープレートがちゃんとフェンダーに付いている割と転倒も少なさそうな物を首尾よくゲットした。パーティには女性も含まれるが、聞けばバスでアフリカを旅行したツワモノらしいので管理人の様な初海外で単車の腕もひよこ者こそ保護されるべきであろう。ちなみに彼女とその同行する夫ら夫婦は赤ん坊を日本に置いて来ての参戦だそうな。ブレーキがドラムで利きがイマイチなのは兎も角として、ギアがリターン式ではなく落としていくと最後にニュートラルになるタイプで、これは最後まで戸惑った。尚、中国は右側通行で我々の道中ではめったに対向車は無いが注意が必要である。

 砂漠と言うとだだっ広い砂の砂漠を想像していたのだが、此方は瓦礫砂漠で道中は瓦礫と土に覆われたひたすら緩やかな丘が続き走りやすい。しかし、夏の盛りと言うのに草木と言うのが見当たらないなあ、こりゃあ中国の地方の発展は大変だなあ。丘の上でまばらにじっとしている駱駝は野良駱駝だそうだ。
 2・3の丘を越すと小さなオアシスと集落へ抜け出す。時折、ロバや単車とすれ違う程度で対向車は殆ど無く、見かけたのは道のど真ん中で整備(修理)を行っている大型ボンネットトラック程度の物である。実際の所、住民生活の動脈となる整備された幹線道路は別にあり、我々の様な物好きが物好きな道を選んで走っていると言うことの様だ。シルクロードは決して一つの道路を指すのでは無く、点在するオアシスを結ぶ複数のルートを総称しているそうで、言ってみれば我々はその支線を巡っている事になる。

 当初は自分が中央アジアを走っていると言う非現実感から気分も高揚し、また、風景一つとっても浅間や草津の高原地帯と言った通常走ってはいけない所を髣髴させる事から休憩時間の際も丘を登ったり下ったりしていたのだが、どうも雲行きが怪しいと言うのは天気の事ではなく道に迷っているらしいのだ。本ツアーでは我々日本人が5人、同行する中国人の道先案内人とメカニックを担当とする中国人で構成したオートバイのみの本隊と、日本人添乗員1人と中国人5人で構成する車によるサポート隊に別れ、サポート隊とはしばしば合流し食事の提供なりの支援を受ける手筈なのだが、その連絡が滞っているらしいのである。出発前に手渡された行動表にはウルムチ市から東方のトルファン市へ向う旨が記述されている物の(実際にはかなり手前で引き返す)、この辺りは軍事的な事情からも正確な地図が無く、また我々が好き好んで走っている轍道なんぞは地図に載っていないのだ。事態を飲み込んで以降は余計な体力を使わない方向性に転向、翌日からは対策として出来る限りの量の食料と水を携帯する様にサポート隊からも指示が出る。

 
 翌日は、結構な海外ツーリングらしくなってきましたぜエ。
 雨季には河になると言う水無しの河川敷を渡る事になったのですが、漬物石大の岩がごろごろと言うか敷き詰められていて難攻不落。管理人も豪快に転倒してしまい、アクセルワイヤーホルダーが壊れてしまった。メカニックのワンさんが治してくれたんだけど、手を離してもアクセルグリップが戻らなくなってしまったよ。ワンさんは「没問題、没問題(問題ない、問題ない)」と言うのだけれども・・・。
 サポート隊の北京ジープなんてしばしばオーバーヒートで立ち往生。日産で整備をしていると言うメンバーが試しに除いてみると、フィルターにはごそっと砂が詰まっていたそうで、「手を貸そうか?」と聞くと「没問題、没問題」と言うので引き返して来た。この先、何度この「没問題」に悩まされる事になるだろうか・・・。ちなみに、サポート隊によると、車内はヘルメットがないと死ぬそうです。
 1.5時間くらい掛けて河川敷を脱出。走り出すと気分は回復、少数民族の村を駆け抜けると不思議そうな目で此方を眺めているのが結構快感である。まあ、こんな辺境まで来て単車を流す集団と言うのは相当珍しいだろうなあ。

 一行は再び砂丘丘を越える、凄まじい急勾配を幾つも超える。確かに車両が通った轍が有るけど、これは戦車か何かが通った跡じゃないの?たまらず道を外れると、なんだよ直横に避けて通る道があるんじゃないかよ!!どうやら、サービスで砂丘丘を越えていたらしい。近くには戦車障害と思われるコンクリートの建造物もあり、あそこは絶対軍の敷地内だったんじゃないかあ。
 そうこうしている内に、ああ、また日が落ちてきたよ。相変わらずサポート隊との連絡は滞っているらしく心配は深まる一方である。ああ、本当に薄暗くなってきた、今更河渡りなんてしている場合なんだろうか?ライトがついていない単車だってあるのに。いい加減暗くなって、流石にやばいと思いかけた頃にサポート隊と合流。我々は日本人なので、内心金でどうにでも解決できるとは思っていた物の、やはりほっとしました。
 民家の庭先に立てられたパオとテントが我々の本日の寝床となる。辺りは真っ暗でどんな村なのか見当もつかない。食事はサポート隊によって作られる、スーパーなど無いので新鮮な食事には有りつけないのだが、さすが中国人の作る食事だけあって満足ではあった。辛いけどねえ。レシピは炒め物数点とスープ。この辺りのムスリムに遠慮してか牛肉と羊肉のみで豚肉は使用しません。ひまわり油の独特の香りが辺りを充満し、以後の道中もこの香りを引きずる事になる。あっしは好きですが。
 
瓦礫の丘
集落
ひたすらなだらかな瓦礫の丘が続き、時折谷間に小さな集落が現れる。
ツーリングとは単純な作業の繰り返しだと言う事を思い出す。
一応、ナンバープレートをつけている単車もあるが無い単車も多い。法律的にはどうなっているんだろう?
右側は戦前のBMWをコピーしたドニエプルを更に中国が進化(?)させた長江。
側車付き長江
ナンバープレートを付けた単車
小休止は頻繁に行われた、休める時に休んでおかないと今後の行く末が・・・。
再び小休止
西瓜を食す我々
その2
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