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コダック Winnerについて


Winner

「勝利者」と言う名のおもちゃカメラ。

☆ジャンク度☆
不具合無し
撮影可能




Winner Winner
アメリカの象徴たるコダックが即ち勝利者という時代が、かつては存在したのかもしれないな。

Winner
頼りなさそうなレンズ。多分単玉だろう。

Winner Winner
ボディ上部に接続口がある。多分フラッシュを接続するのだろう。

Winner Winner
素通しのファインダー。フレーミングの精度は兎も角、見え具合は悪くない。

Winner Winner
裏蓋とフィルム室。この手のオペラグラスタイプの110判カメラは、どれもパッケージングに大差は無い。

Winner Winner
ボディ下面のスライドスイッチにてフィルムを巻き上げる。
構造は、高級110判カメラのキヤノン110EDと変わらない。

Winner Winner
元箱フィルム付き。
この箱のパッケージデザインに惹かれてしまいました。

 「ジャケット買い」という言葉がある。これはパッケージデザインに惹かれて、ろくに知りもしないアーチストのCDを衝動買いしてしまう事を表す言葉だ。一方、カメラ人民にとっては「元箱付き」という言葉は一種の光悦感を感じるものだ。つまり、大抵のコンシューマーは新品で買ったカメラや取り説は大事にしても箱は捨ててしまうので、我々中古戦線の活動家が拾ってくるカメラには箱が付いていないのだ。世の中には高級カメラの入った箱の封を解くと、その瞬間から世界遺産が腐食すると信じている方もいらっしゃるそうで、そういう方は元旦か吉日を選んで箱を揺らし、その中の御神体の存在を確認して満足していらっしゃるそうである。まあ、そういう方は特殊としても、拙僧のような安カメラ専門の人間でも元箱が付いていると一寸得した気分になるな。以前、クールピクス600が箱付きで1000円、箱無しで680円で転がっていて、迷わず箱無しを買ったのだけれども、今考えれば箱付を買えばよかったかもしれない。クールピクス600の元箱なんてネットオークションでも中々引っかからないに違いないからな。
 そこで病気が一歩進むと「箱買い」という行動に至ってしまう。つまり、カメラ本体が目的ではなく、箱に惹かれてしまうのだ。カメラを既に持っていて、その箱だけ欲しいというのは病気の程度がまだ小さいと思うのだけれども、箱に惹かれてしまってカメラはどうでもいいというのは病気が深いだろうな。このコダックWinnerに惹かれたのは、まさにその箱にあった。薄汚れた黄色のパッケージと頑丈な発砲ウレタンの中箱に70年代のアメリカの黄金時代を感じたのだ。泣かせるのが当時のコダカラーU付き。残念ながら開封されていたけれども、中身はちゃんと入っていた。カメラ本体はどうと言うことのない固定焦点・単速・単玉の簡易110判カメラなのだけれども、とりあえず新品のデットストック物のようだった。今更、110判フィルムを真面目にプリントしてくれるとも思えないけど、結局、その箱に惹かれて購入。525円也。
 しかし、Winnerとは奢ったネーミングだ。なにせ110判カメラの全盛期である70年代前半から80年代前半と言えば、ベトナム戦争で負けが込んでいて悩んでもいたんだろうけど、アメリカはソビエトと本気で対立していたし、まだまだ世界で一番裕福な国だと自認していた。コダックが110判フィルムを世に出した1972年に拙僧も人生と言う難題に挑戦すべく世に出た。のっけから苦難の連続だったな。車、クーラー、カラーテレビなどという世代ではないけれども、拙僧の幼少の頃はテレビは流石にカラーテレビだったけれど、車はボディが錆で穴だらけだった中古の軽バンだったし、クーラーなどというものは母親が娘に「xxさん、お紅茶が入りましたよ。」など話しかける上流階級の所有物であると言う認識があった。いや、拙僧の周辺がたまたま貧乏だったのでそう思っただけかもしれないけれども。思春期にモスクワ放送を聞いていたくらいだから単純にアメリカかぶれという程ではないにしろ、やっぱりアメリカ製品に対する憧れはあったと思う。典型的なのはコーラだ。拙僧が子供の頃はコーラは骨を溶かすとか習慣性が付くとか言われていた。多分、コーク(コカイン)とどこかで取り違えたのだろうけど、大人は本気で言っていた。ならば、その隣のオレンジジュースを買ってくれたかというとそんな事は無いので、あれはやっぱりただの貧乏だったのだな。それは兎も角、いつかはコーラを自由に飲めるようになりたいと思ったものだった。そういえば、近所の駄菓子屋ではペプシコーラは普通に流通していたから、あこがれたのはやっぱりコカコーラだ。完全に資本主義の病魔に毒されていましたな。まあ、クアスなんて手に入るわけ無いので仕方が無いな。
 ところが拙僧が青年層になって、当面のパン代位は自由に使えるようになったときには、良いものは全部日本製になっていた。バック・トゥー・ザ・ヒューチャーでマイケル・J・フォックスもそう言っていたから間違いないだろう。拙僧がカメラ人民として覚醒した頃にはコダックも数あるフィルムメーカーの一つに過ぎなかった。先人方がいかに高級品のトライXの長巻を切ってパトローネに詰めたか等と言う武勇伝は既に「キューポラのある街」とさして変わらずだったのである。拙僧は2003年からカナダに1年弱住んでいたことがあるので知っているのだけれども、10年10万kmの中古のトヨタが80万円位するのである。それでも新車のポンティアックを買うよりましなのだ。蓋を開けてみればかの国の連中の購買能力も生産能力もその程度なのである。ソビエト製カメラを眺めていると、考え無しで場当たり的な改装や単純な機構と精度の悪さにびっくりするけど、アメリカ製カメラも考えなしと単純な機構では負けていないな。
                  ☆                ☆
 そろそろカメラの話題に移りたい。とはいっても、この物件の場合、その存在価値が箱に有る為に評価は難しい。カメラは典型的な110判簡易カメラである。おもちゃカメラの分類に入るかもしれない。ファインダーは素通しでアクリルで仕切りされているだけ。シャッターは単速で絞りは無し。恐らく樹脂製の単玉レンズ。固定焦点・固定露出カメラである。現在の110判フィルムとDPE代を考えると撮影するのも面倒なカメラだ。外装は我々が普通想像するような工業的なプラスチックではなく、ままごとの食器に使われるような位相のプラスチックである。ただし、やっつけ仕事ではなく、それなりの精度を保っているのが共産圏の工業製品と一線を分けている部分である。ボディー下部のスライドスイッチでフィルムを巻き上げ、ボディ上部の四角いレリーズボタンでレリーズを行う。この手の110判カメラの伝統的スタイルだ。ファインダーは素通しなので非常にクリアだが、精度を気にするのはナンセンスだろうな。この手のカメラの欠点は手振れしやすいのだ。単速のシャッタースピードは正確には解らないのだけれども、どうも1/125程度だと思われる。縦に構えても横に構えてもしっくり来ないので注意が必要だな。
 元箱にはISO100のフィルムが入っていたので、固定露出はそれに合わせてある(F8で1/125か?)と思われたのだけれども、手元にはコダックのISO400ゴールドしかないので、それを使った。撮影スタイルがいつもとかなり違うので、初めは戸惑ったけれどもだんだん楽しくなってきた。また、殆どの現代人は本カメラのスタイルをカメラとして認識していないので、スナップ撮影でも比較的警戒されにくいと思われる。もっとも、常に手振れを警戒する必要があるので、思ったほど撮影スピードは速くない。
                  ☆                ☆
 むむむ、なんだか思ったよりちゃんとカメラとしての分析をしてしまったな。元来、箱と言うのはヤラシイ物なのかもしれない。箱モノ財政とか何か形だけを作って取り繕う、或いは見せたくない物を隠すイメージがある。身近な例では「明るい家族計画」というスローガンで自動販売機で売られていた小さな箱だ。幼心にも、あの箱には何か艶めいたパワーを感じたものだった。それを実用する等という事は非常につまらないもので、大人になることのつまらなさを象徴しているな。そういう訳で、我々カメラ人民は箱モノに今での惹かれてしまうのである。それを空けるまでは。

 では、撮影結果を見て頂きたい。

(了:2005/12/08)

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